第4回 警察に公正正義は無いのだろうか
舞台:不明
情報発信者:不明
トラブル発生時期:昭和53(1978)年
相手:寺井(仮名)一家とその関係者
被害の理由:基本的に不明
悪い見本のようなHPです。(このHPのコンセプトとしては不本意なHPなのですが、こういったHPの批評が「否定的契機」の一助となると判断しています)
興味のある方は上記にあるリンク先を覗いてみてください。
まず、2つの線を引きます。
1つめの線。(これは医大生向けのあるHPの試験問題対策の文章を抜粋したものです)
【恋愛妄想】love delusion
ある人が自分を愛していると一方的に思い込む妄想。誇大的内容をもつ妄想であるが、被害的色彩を帯びていることもある。分裂病に多く出現する。
もう1つの線は広辞苑<第四版>から、
【アンビヴァレンス】
同一の対象に対して相反する感情を同時に抱くこと。
というものです。
今回のHPはそれなりの分量があるのですが、基本的に上記の2つの線分上を綺麗になぞっていきます。
アンビヴァレントの相反性は、賛美と罵倒の2つの線分です。
>美人で颯爽と生きていた薫
>異様な姿
>顔立ちは美人でも無表情
>表情が無く、まるで能面
これは時系列を立てて、HPの制作者が状況を説明している文章の中で、執着している女性に対しての主観的な容貌の感想の変化です。
そして、その時系列を順に追っていくと最初に「美人で颯爽と生きていた薫」は最後には
>道端に落ちている犬の糞を喰えるわけがないだろう。犬の糞とはテメーの娘のことだ
とまで罵倒されることになります。(他の別見出しのページには「百姓家の中年太りの小汚いブタ婆のような薫」という表現までが登場します)
このような変化の原因は筆者(HPの制作者。ここからはこれで統一します)が、「美人で颯爽と生きていた薫」を見かけ、手紙を出し、その返事がなかったことに尽きそうです。
そして何より、一番の問題は筆者が薫氏が精神病に罹患していると断定するまでの推移です。
少し、その経緯を追ってみます。(アンダーラインは私が引きました)
>その姿は、夫婦のように見えました。そして信号が青になって車が動き出すと、直ぐに私から逃れるように脇道に消えていきました。その出来事で、完全に、薫が遠い所に去ったことを知りました。
>私が手紙を出しても返事を寄越さずにおきながら、何年も経ってから私の前に現れるのは筋違いではと思い、判断力があると思える薫の、その行動に憤りを感じて滝の河公園に散歩に行くのを止めました。
>あの娘こそ寺井薫だと気付き、あの赤いホンダのスクーターは、私が乗っているホンダの赤いシビックに合わせて買ったものではと思いました。
>薫の年齢を考えると、女性が結婚するには、すでに限界に近いと思えました。私が過去に出した手紙が原因で結婚しないでいるのだろうかと、私は責任を感じました。
>もし、私と結婚すれば心の傷が癒されて、薫の心の病は治るのだろうかと思い、いつまでも、この様なことをしていても仕方がないと、薫に最後の手紙を出すことにしました。そうすれば、薫の病状の程度を知ることができ、私の頭の中の”もやもや”も解消し、最終的な結論が出ると思いました。
>また、私が十年近く前に妹と間違えて薫に出した手紙が原因で、薫が結婚せずにいるのではなく、精神病のために結婚できないでいるのだと確信しました。
要するに筆者の主張は、薫氏が手紙の返事をくれないのも、薫氏と結婚できないのも、薫氏が精神病だからだ、ということになります。
もちろん、これはたんに、筆者が、薫氏が精神病ではないと困る、というだけのことです。
「変人」を見つけて揶揄し、悦にいる悪趣味な批評に似てしまいましたが、これからの展望も鑑みて、今回は敢えてこういうスタイルを取ってみました。
今回の事例は、強い念慮を持った人物が集団ストーカーを「見出し」てしまったと断定できそうです。
そして今回のような事例が後を絶たない限り、集団ストーカーの暗躍の下地はますます豊穣なものへとなっていくでしょう。
なぜなら、それはあまりにも「妄想」に似すぎているからです。
――世にこれほどの反動があるだろうか。この世は取り替えられている。取り替え
ごっこしているんだ。そして、それでなのか、革命が起こらないのは!――
(『ユニコン物語』
唐十郎)